中大兄皇子の歌に隠された愛憎劇!額田王を奪った真相と百人一首の裏側を徹底解剖
藤原定家が編纂した『小倉百人一首』において、栄えある第1番に選ばれているのが天智天皇の御製です。
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」
(秋の田の番小屋の屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、私の着物の袖は夜露に濡れ続けている)
最高権力者である天皇自らが、みすぼらしい番小屋の露に濡れる情景を描いたこの歌は、古来より「民を慈しむ仁徳の帝王の姿」として称えられてきました。しかし、この歌にはもうひとつの側面があります。
中大兄皇子の治世後半は、決して平坦ではありませんでした。663年の「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗を喫し、国家存亡の危機に直面。国土防衛のために民衆へ重い兵役と城壁構築を課し、都を難攻不落の近江大津宮へと遷都しました。さらに晩年には後継者をめぐって弟の大海人皇子との対立が決定的となり、宮廷は不穏な緊張に包まれます。
冷え切った秋の夜、粗末な小屋で袖を濡らす姿に投影されているのは、国家を背負う重責と、かつての同志たちと引き裂かれて孤立無援となった絶対権力者の深い嘆息に他なりません。
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