百人一首「秋の田の」は中大兄皇子の作ではない?教科書が語らない偽作説の真相
百人一首の歌が仮託であるならば、中大兄皇子本人が詠んだ確実な歌とはどのようなものだったのでしょうか。その答えは、最古の歌集である『万葉集』の巻一に遺されています。
最も著名な作品が、大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)の争いを主題にした長歌と反歌です。
「香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」
(反歌)「香具山と 畝傍山と あひし時 立ちて見に来し いなみ都留志かも」
男山である香具山と耳成山が、女山である畝傍山を巡って妻争いをしたという神話を詠んだこの歌は、古代の国見(くにみ)儀礼や土地の神々を鎮める祭祀歌としての性格を備えています。かつては中大兄皇子、大海人皇子、額田王の三角関係を比喩したものとする文学的解釈が流行しましたが、今日では神代の神々の争いに託して、大和の国土の秩序と王権の支配力を誇示する呪術的・政治的アジテーションであったと捉えるのが定説です。
ここに見られる言葉の力強さや雄大なスケール感こそが、7世紀の激動期に国家体制の構築に邁進した中大兄皇子の真の歌姿といえます。
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