松田聖子と神田正輝の結婚披露宴から現在まで|石原裕次郎がホテルで見せた涙と昭和スターの正体
この歴史的な披露宴が催された1985年当時、石原裕次郎は過酷な闘病の渦中にありました。1981年の解離性大動脈瘤による大手術からの奇跡的な生還以降も、肝臓疾患や各種合併症に苦しみ、医師団の強い指示により米ハワイ・オアフ島での長期静養を余儀なくされていたのです。
当初、神田正輝の結婚に際して裕次郎夫妻が仲人を務める予定でしたが、裕次郎の体調を考慮し、仲人の実務そのものは事務所のナンバー2である渡哲也夫妻が代理を務めることとなりました。主治医からは長時間のフライトや公の場での過度な興奮は命取りになりかねないと警告されていたにもかかわらず、裕次郎は「正輝の晴れ姿をこの目で見ないわけにはいかない」と強行帰国を決断します。
ホテルニューオータニの会場に、やや痩せ細りながらもダンディなスーツに身を包んだ裕次郎が姿を現した瞬間、会場の空気が一変しました。マイクの前に立った裕次郎は、搾り出すような、しかし温かみのある低音ボイスで次のように語りかけました。
「神田は、うちの事務所(石原プロ)に入ってから、本当に私の息子のように苦楽を共にしてきた男です。そして今日、日本の誇る素晴らしい歌姫である聖子さんをお迎えすることができた。どうか2人で手を取り合って、どんな荒波も乗り越えていってほしい」
言葉を詰まらせ、目を潤ませながら新郎新婦を見つめる裕次郎の姿に、神田正輝の頬にも涙が伝い、松田聖子もまた深く頭を垂れました。自らの命を削ってまで祝福に駆けつけたボスの熱い魂は、ホテルニューオータニの広間にいた全員の胸を打ったのです。このスピーチこそが、映画会社からスタートした石原プロモーションが培ってきた「血よりも濃い疑似家族の絆」を白日に晒した瞬間でした。
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