阪神淡路大震災から30年|松田昌三医師の死因・現在の状況とあの日からのタイムライン
現代では防災訓練や医療ドラマを通じて広く知られるようになった「トリアージ(Triage)」という言葉ですが、1995年の阪神・淡路大震災の時点では、日本の医療現場にその概念や具体的な運用ルールはほとんど定着していませんでした。
ネット上では、トリアージに対して「助からない人を切り捨てる冷酷なシステム」という誤解が一部に存在します。しかし、本来の目的は「切り捨て」ではなく、「限られた医療資源(医師・看護師・薬・設備)を最大限に活用し、1人でも多くの命を救うこと」にあります。
松田医師が震災当日に直面した最大の盲点は、以下の2点でした。
- 法的な裏付けとガイドラインの不在:当時は災害時のトリアージに関する統一基準(タッグの色分けなど)が普及しておらず、蘇生を中止した医師が後に遺族から訴訟を起こされるリスクすらありました。松田医師はマニュアルが存在しない中、現場の感覚と自身の責任だけでその基準を作り出さざるを得ませんでした。
- 「クラッシュ症候群」という時間差の死因:がれきの下から救出された直後は意識がはっきりしていても、数時間後にカリウムなどが全身に回って急死する「クラッシュ症候群(挫滅症候群)」が当時は日本の医師にほとんど知られていませんでした。軽傷に見えても人工透析が必要な重症患者を見極めることの難しさが、震災後の大きな教訓として残されました。
【プロの結論】災害社会学・医療倫理の視点から見出すべき教訓
医療倫理学および災害社会学の視点から松田昌三医師の行動を分析すると、そこには「平時の倫理(目の前の1人に最善を尽くす)」から「有事の倫理(最大多数の命を救う)」へと瞬時にギアを切り替えた、極めて高度なプロフェッショナリズムが存在します。
この過酷な体験と「防げたはずの死(約500人と推計される)」への深い悔恨が原動力となり、日本政府および医療界は以下のシステムを構築しました。
- 災害派遣医療チーム(DMAT)の創設(2005年):発災直後の急性期(48時間以内)に被災地へ入り、瓦礫の下の医療やトリアージを行う専門チーム。
- 災害拠点病院の整備と広域医療搬送計画:被災地の病院だけで抱え込まず、ヘリコプター等で被災地外の病院へ重症患者をピストン輸送する体制。
- トリアージタッグの標準化:黒(死亡・救命不能)、赤(最優先治療群)、黄(待機的治療群)、緑(軽処置群)の4段階評価の徹底。
私たちがこの記録から学ぶべき最大の教訓は、巨大災害が発生した際、「病院に行けばいつも通りの治療が受けられる」という前提は完全に崩壊するということです。軽傷者が大病院に殺到すれば、松田医師が苦しみながら行ったような「命の選択」が再び繰り返されます。市民一人ひとりがトリアージの意味を理解し、軽傷時は地域の救護所を利用するなど、医療崩壊を防ぐ行動をとることが求められています。
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